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感情移入から読み解く #真田丸 11話と13話の脚本

前回は、面白さ(娯楽)とは意外性であるという観点から分析してみました。
さて、室賀が暗殺を受けて以降の後半についての説明、少し違和感がありませんでしたか? 私は娯楽の視点で見ていたのですが、後半はどちらかというと感情移入がメインだったことに気づきました。

面白さと感情移入は水と油。あちらを立てればこちらが立たずという関係にあります。感情移入しているときに予想外の展開など起きたら不愉快になるからです。

具体例をあげて説明しましょう。
主人公は美形で異性にもモテモテ、仕事も絶好調、向かうところに敵はありません。感情移入して読んだら気持ちがいいですよね?
ところが主人公に不幸が訪れます。会社は倒産、彼女に振られたショックで交通事故に遭い、自慢の顔にも傷が残りました。感情移入して読むなら最悪の展開です。

無敵の主人公を例にあげましたが、主人公が無敗のままだったらはたしてお話としては面白いでしょうか?
感情移入を重視するなら、不快な出来事など起こって欲しくないですよね。予想外の出来事がおきる「面白さ重視の話」は、感情移入して楽しみたい人には邪魔なものだということがお分かり頂けたと思います。
ちなみに面白さを重視して感情移入せずに見た場合、主人公が不幸になろうが他人の不幸は蜜の味です。

というわけで、室賀の暗殺に関しては、面白さよりも感情移入を優先した作りになっています。
前半のドタバタに比べると、後半はそれほど予想外の出来事は起きていません。室賀は暗殺を引き受けましたが、昌幸と話した後に本多正信に断りを入れます。ここはそんなに驚くような意外性はなかったですよね。むしろ「そうだよね、やっぱり迷うよね」と室賀に共感したのではないでしょうか。その後の祝言に場面が移っても、迷ったのか決意したのか、揺らいだシーンが続きます。

予測が「やるのか、やらないのか」だけになってしまってストーリー自体は起伏がなくなってしまっているのがお分かり頂けますか? これだけだとダレてつまらなくなってしまうから、意外な展開として「おこうの舞」や「きりちゃんが近くに来る」というシーンが入りました。感情移入したい人にはきりちゃんが(ウザいのを差し引いても)邪魔なシーンでしょう。

昌幸が話しかけてから室賀が懐に手をかけるまでの会話のシーンが、メインの感情移入向けシーンです。ここは昌幸や室賀の内心への思いをはせたりした人も多かったようです。
室賀が斬られるシーンで、もし「黙れ、小童!」などと言ったらどうなるでしょう。面白いかもしれませんがブチ壊しですよね。やはり面白さと感情移入は両立しないのです。

13話でも梅ちゃんはさんざん死亡フラグをへし折って、完全に視聴者を油断させてから裏をかいて死にました。これは娯楽としては完璧だと思います。しかし感情移入重視の人々が期待することは、「死ぬなら死ぬでちゃんと悲劇にしてほしい」わけです。
納得がいかないものですから、梅の行動がバカみたいだとか、せめて死に際くらい描いてほしかったなどの意見が目立ちました。
これにたいしては梅が案外と力持ちで室賀の村との争いに参加した描写があったことや、そもそも人間は合理的に行動するものなのか、ああいう雑な死に方の方がリアルだなどの反論が見られました。
このように、必然性があれば、予想外の展開で不愉快になってもそれをやわらげることができます。

あなたはどんな物語なら感情移入できますか?
自分と似ているキャラは感情移入がしやすいでしょう。自分と似通ったキャラなら、それほど予測を外した言動をする確率は低いですからね。
しかし自分と似てるから共感するとは限らないでしょう。現実ではとてもできないような悪事を行うダークヒーローに自分を重ねて、カタルシスを得るというのもあるでしょう。
私が例に出した「無敵の主人公」で感情移入なんかできるかという人もいるでしょう。「何もかもうまくいくなんてリアリティがない」と。感情移入するのにはリアリティが肝心になってきます。
話すと長いのですが、「リアリティは本人がリアルだと思った方がリアル」というのが実情です。リアリティの意味にもよりますが、強迫観念がかかわってくる場合があるからです。

何もかもうまくいく人生を歩んできた人なら、無敵の主人公の物語を読んでも「めっちゃ分かるわー」としか思わないかもしれません。つまり、何に感情移入するのかは人それぞれなのです。
「面白さはひとそれぞれ」の実態は、「感情移入できるという意味で『面白い』という言葉を使う人にとっては」という但し書きがつきます。
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出浦様の思考を読み解く

室賀を殺すことを言い出したのは出浦である。「昌幸を殺しに来るから」と彼の理屈は明快だが、信幸のように割り切れないのが普通だろう。11話は悩む信幸とドライな出浦の対比でもある。

また、出浦は単に冷血で人の気持ちを理解しない人間ではない。3話を視れば分かるが、信繁は出浦をしたっており、出浦も信繁に術を教えるなどの交流がある。また同じく3話で、信幸が父に騙されて相当落ち込んでいるときには、信繁に信幸の「話を聞いてやれ」と言って気遣いをしている様子が描かれている。
そんな交流がありながらも、昌幸の危機ならば信繁の祝言も利用する。彼の最優先事項は昌幸であるから、他のことへの感情はオフになるのだろう。

また出浦は室賀のことを「悪い男ではない」と評したから嫌ってはいないのだろう。だから彼に葛藤がまったくなかったわけではないと推測できる。しかし昌幸の敵となれば「なべきことは一つ」と何の躊躇も見せない。昌幸のためなら自分の情など切り捨てられる男である。

次に室賀を討つときの出浦の動きから彼の思考を読み取っていこう。
室賀とは距離が離れているから、当然彼の飛び道具が一番早い。
掛け軸の裏から登場し、腹を刺す。
人間は腸を刺されるとまず助からない(ただし即死ではないので、切腹の際には介錯が必要になる)。的確に致命傷を与えているところから、殺し慣れていることが分かる。もみ合うさいに室賀は出浦の首を斬ろうと刀を首の後ろに回していたが、室賀が出浦を投げ飛ばす。次に信幸が「御免」と叫んで斬りかかる。その間出浦は何をしていたかと言うとその場に立っているだけである。疲れたのもあるだろうが、静観して「室賀は手負いなのだから信幸でも大丈夫」と判断したのだろう。
指摘があった通り、信幸に斬らせることには「親の敵を討たせて、嫡男として花を持たせたかった」からだろう。信幸の経験が浅いのかは知らないが、練習させるつもりだったのかもしれない。

しかし私にはそれ以外の意味があったように思う。
話を少し戻すが、室賀を迎え撃とうという話が出たときに、信幸は祝言を利用するなど「卑怯」だと難色を示した。人を斬っても眉ひとつ動かさない出浦だが、このときばかりは「お主の父親を殺しに来るのだぞ」と声を荒げた。彼の感情が見えるときは昌幸にかかわることであることが分かる。またこの場では昌幸を「殿」や「真田家の棟梁」でもなく「お主の父親」と呼んでいることに注目したい。怒りをのぞかせながらも信幸の立場に立ち、より彼の心に響く言い方をしているのである。怒っていても頭の回転は速い。

出浦は信幸の甘さが気に障ったのではないか。彼にとって室賀を討つのは決まり切った結論なのに、嫡男たる信幸は迷っている。だからこそあえて、信幸に斬らせるべきたと判断した。真田家当主の嫡男として、昌幸の息子として、責任や自覚を求めただけではない。感情的に許せなかったところもあっただろう。
「昌幸のためなら、弟を傷つけようが室賀を憎みきれなかろうが、己の迷いとともに斬り捨てよ」と。

信幸も手を下したことで、「弟の祝言を血で染める」ことに完全に加担してしまった。自分が始末してもよかったのだが、あえて手を汚させることは、信幸への罰ではなかったのかと思うと本当に萌える。

信幸は室賀に切りつけた後腰が抜けており、きりを助けようとした内記も一太刀浴びせはしたが、止めまでは刺そうとしない。しぶとく生き延びようとする室賀の意思が伝わって気圧されたのか。昌幸が室賀を手にかけることにためらいがあることを汲んだのか。もはや室賀に武士の情けとして「腹を召されよと」言える状況でもなく、殺すしかない。

出浦は室賀の背に跨って立ち、首を切った。外のものが手を出さないし、「ただ必要なことだったから」終わらせただけのようだ。まるで事務作業だ。
出浦は皆が集まってから、最後の仕上げとばかりに状況説明までしている。それも「室賀殿が先に仕掛けたのだ」などの普通の話し言葉ではなく、あらかじめ文章を用意していたかのように読み上げた。そこまで気が回るくらい彼は冷静沈着なのである。

とここまで書いたが。




こういう作法なども詳しく描いているのも真田丸の特筆すべきところですね。

#真田丸 11話 きりの役目と主人公に帰る話と諸々

きりちゃんの役割は娯楽には欠かせない「バカキャラ」である。バカは想定外のことをするから話が面白くなる。ただバカなのではなく、戦国時代に現代人感覚でモノを言った結果、他の登場人物からバカにしか見えないという役回りである。そこはひねりがある。普段から身分をわきまえない態度を取るから、信幸が「出ていけ」と言っても出ていかない。あれは泣いてるきりに信幸が無神経に話しかけたからイラッとして反抗したのもあるでしょう。

11話にきりは欠かせないんですよ。
囲碁シーンはいつ室賀が仕掛けてくるのかと言う緊張感がありましたが、そこにきりが信幸の近くに来たことで「巻き込まれてしまうのでは」「うまく追い出せないか」と別の緊張感(予測)が加わり話が複雑になる。AとBどちらが勝つかという対立の話をしているときに第三勢力が来る構図ですね。
そして彼女は予想通り斬られそうになるが(予測)、内記が室賀に斬りかかって助ける(予想外の展開)こど面白さを提供します。
きりがいなくても、下女が騒ぎに気づいたとか、他のキャラがたまたま通りかかって気付いても信繁は呼べるでしょう。見せるだけではダメなのです。
きりは信繁に昌幸や出浦の意図を伝えて「そのために祝言を」と言わせないといけない。だからその場に巻き込まれて、襷掛けの父や、信幸の「見られては困るのだ」という言葉からすべてを理解し、信繁に伝える必要があります。

真田丸の脚本がすごいなと思うのは、室賀にスポットを当てながらも、ストーリーが信繁にきちんと帰ってくるところです。
信繁は暗殺計画のあたりから蚊帳の外です。視点は信幸中心になり、彼の心労や室賀の心の揺れを描く。
信繁はすべてを知るが、怒るどころか父の意図が見抜けなかったことばかり考えている。「あなたたちそれでいいの」とそれに気付かせるのがきりの役割であり、「そんな自分が好きになれません」と最後は信繁の物語になる。

余談になるがこのシーンによって「梅はよい人質になります」という言葉がブラックジョークではなく本気だったことが分かる。

薫殿をうまく祝言の場から追放したのもうまい。
薫がそこに「いない」のは重要である。いると話がややこしくなるからだ。そもそも梅の結婚を快く思っていないのだから「嫁・姑問題」に話を割かないといけなくなってしまう。室賀を殺すというメインの緊張感とは釣り合いが取れないし、話がとっちらかる。息子の祝言を悪用する夫への心情も描かねばならなくだろう。
そして昌幸は薫殿にはあまり汚い所を見せたくないのではという指摘がある。昌幸と薫殿は今でもデレるほど仲がよいわけだし。
脚本と役者が良いのか、本当に長く連れ添った夫婦にしか見えないし、艶っぽさまでうかがえる。私が大河を見始めたのは「江」の後半からだが、ここまで生々しく演じられた夫婦も記憶にない。

#真田丸 出浦様は美しい。

出浦様の格好良さに、脳髄が融けました。おかげで仕事が手に付かないほどです。
以前より出浦様だけが、大人の男の色香を強く漂わせていました。11話ではそこに血の脂の匂いが混ざって、むせるほど凄艶です。
私はおじさまが好きというわけではなく、寺島進さんの顔立ちが好みと言うわけでもないのですが、出浦にはすっかり心を奪われてしまいました。
返り血を浴びた顔も、襷がけからのぞく腕も、魅惑的でぞくぞくします。虫の息の室賀の背に跨って立ち、淡々と刀をあてがう様は、なまめかしいといえるほど美しい。
刺客二人を倒すときの太刀さばきは端然としておりました。
室賀を迎え撃つ算段をするときから実行に至るまで、もはや事務的というレベルの冷徹さ。そこがたまりません。
生き延びようとする室賀に内記や信幸は感情的にブレてしまいました。しかし出浦はすっと立ったまま冷静に状況を観察し、誰も手を下さないとみると、汚れ仕事を躊躇せず引き受けた。死を与えることは、出浦の冷徹さが導き出す「武士の情け」だったと思います。
そういった出浦の生き様も含めて、とても美しいと思います。

娯楽から読み解く #真田丸 11話の脚本

脚本がよかったので、娯楽の視点から見てみようと思う。
面白さとは娯楽を指す。娯楽は意外性から生まれる。人間は予測する生き物であり、それが裏切られたときに面白いと感じるからだ。詳しくは鳥山仁さんの純粋娯楽創作理論をお読みください。創作する方には一度読んでいただきたい電子書籍です。安いよ!

面白さ(娯楽)は「予測」と「予想外の展開」の二つの情報でできている。何もないところから予測は出てこないので、「予測に必要な情報の前フリ」を提示して予測させることになる。

おこうの舞を例にとってみましょう。
おこうは信幸の妻だが病弱である(予測に必要な情報の前フリ)。信幸はおこうに「源次郎を広間から出すな」と命じる(予測に必要な情報の前フリ)。そして祝言の日に源次郎は兄を探して広間を出ようとする(予測)。おこうはどうやって引き留めるのか?(と次の予測をする)。おこうは源次郎を呼び止め、病弱な体を押して踊りを見せる(予想外の展開)。

本題に入りましょう。
前半は「祝言を挙げるか、挙げないか」で話が二転三転する。
父と兄は認めてくれそうだが「心もとないのが母上だ」(予測)。予想通り、薫は梅との結婚に反対し、彼女の許可を得ようと源次郎は策を弄する(認めてもらえると予測)が、佐助が失敗(予想外の展開)して母にバレてて怒らせてしまう(次の想定外)、ストレートに再度お願いしてみるものの(予測)頑なになってしまった母は頑なになってしまった(想定外の事態)。父・昌幸は薫の説得に当たり(うまくいくのではと予測)、結婚自体は認めさせたものの祝言はなしと決まった(想定外の事態)。
とここまででコロコロ変わっている。

源次郎からの父母への働き掛けはもうできない。
「やっぱりやりたいなあ」と後ろ髪を引かれつつも(予測)「今夜が私たちの祝言」と梅が話を終わらせることによって「祝言をあげるかあげないか」という予測が終了し、この件はいったん区切りがつく。

室賀が昌幸を暗殺しようとしているのではないかと話が持ち上がる。これは昌幸たちには想定外だが、視聴者は知っているので前フリとなる情報です。出浦は源次郎の祝言の場を利用することを提案する(更に予想外の展開)。
単に「祝言をやっぱりやることになりました」というだけでは裏表がひっくり返るだけで単調すぎる。予測の範囲内だから意外性はないので飽きる。祝言を血で染めるという非情な発想が加わって視聴者は驚くのである。

そして引き起こされた予想外の事態はこれだけではない。
先週、祝言の予告が流れた時点で、視聴者が思い出したのは軍師官兵衛のときの、おたつの祝言襲撃事件だろう。軍師官兵衛そのものが予測に必要な情報の前振りとなっているのである。「おたつのときのように梅が死ぬのではないか」と視聴者は予測したのだが、死亡フラグが立ったのは室賀だった(予想外の展開)。
私は知らないのだが、結婚式を襲撃するというのはよくある展開なのだそうだ。そのテンプレを利用して「逆に室賀をおびき寄せて仕留める」となると、状況は似ていても視点や仕立てを変えただけでずいぶんと意外性が出て目新しくなる。
このように、ひとつの展開で4つも予想外が出てくるわけで三谷幸喜は天才かよと思う。

後半における意外性は、室賀が暗殺を仕掛けるのか否かという点に変わる。室賀は暗殺を請け負ったものの(予測)「あいつは幼馴染じゃ」と一旦断る(予想外の事態)。正信は徳川が後ろ盾になると言い、室賀は再度暗殺を決める。話が反転することで気持ちの揺れを表現することにもなり、展開が読めなくなる。
祝言のとき、昌幸は囲碁をやろうと室賀に持ちかける。暗殺するのに二人きりの方が都合が良いのに、「わしに勝ったことなどないではないか」と室賀は気乗りがしない様子だ。二人きりになることを避けることで、「室賀にまだ迷いがある」と予測できる。
囲碁を打ちながら昌幸の方から暗殺の話を切り出し、「家来になれば許す」と逃げ道を与える。室賀は受け入れるのか(予測)。
室賀は「武士として人として、お前に劣ったと思ったことは一度もない。ただの一度も」「わしの勝ちじゃ」と言って懐の小刀に手をかける(やるのかと予測)。しかし室賀は小刀を碁盤の上に置き(予想外の展開)、あきらめたのかと次の予測をさせる。しかし室賀は「お前の家来にはならぬ」と言って、足に隠した武器を出して昌幸を襲おうとする(予想外の展開)。

とまあ祝言と暗殺に絞ってもこんなに予想外が続くのですよ。この2点以外のことも細かく拾えばもっとありますが、キリがありません。

脚本についての話はページを改めて続きます。

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Author:ありょーしゃ
過労→希死念慮→自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)→当事者会を立ち上げる前に辞める→旦那の献身的な対応で私生活は問題なし。

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